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人見知りには2パターンあると個人的に思う

僕は人見知りです。

知らない人やそこまで親しくない人と話す時、「自分がどんな話をすればこの人は喜ぶのだろうか、この人は自分のことをどう思っているのか、そもそもこの人に嫌われているのではないのだろうか。」こんなことを話し始める前に考えてしまうのです。

結局、友達になる人なんかは最初から喜んでくれる話をする必要はないし、自分の評価なんていうのは考える必要がないのです。

必要ないにもかかわらずなぜ話すことが億劫になってしまうのか、必要以上に相手のことを考えてしまうのか、自分が立てた仮説は、「人に好かれたい(嫌われてしまうのが怖い)という気持ちが必要以上に出てきてしまう」です。

大抵の人は、人見知りでもそうでなくても嫌われるのが怖いし、できれば好かれて生きていきたいと思う人がたくさんだと思います。この社会、特に情報社会の中で生きていく上で嫌われ者は圧倒的に不利ではないかと思います。

大抵の人がそう思いつつも円滑にコミュニケーションできる人がいるのはなぜなのでしょうか?それは仲良くなれば印象なんか簡単に変わることを知っていて、印象を変えることに何度も成功してきたからではないかと思います。人は第一印象が大事とは言いつつも、第一印象が悪かろうがコミュニケーションのとり方次第で変えることはできると思います。ただし僕みたいな陰気な人見知りは第一印象を根に持ちます。

人見知りの方は根に持つ人が多いのではないでしょうか?自分がそうだから、というわけだけではなくパッと忘れることのできる人は第一印象の変更も容易にできるのではと思います。逆に根に持つタイプの人は第一印象が尾を引いてしまい、印象変更もまごついてしまうのではないかと思われます。

相手の気持ちを計りすぎて自分の言葉を出せない人見知りタイプとは違う人見知りのタイプがいます。

それはコミュニケーションは最低限で、友達も最低限の人数で良いと思っているタイプです。

さっき大抵の人が嫌われるのが怖いと書きましたが、このタイプの人はそんなことを気にしません。自分を慕う人がいれば(いなくても)それでいいと思っているからです。

もちろん人見知り以外にも嫌われるのが怖くないタイプもいますが。

しかしこの社会では残念ながら、最低限のコミュニケーションで大丈夫という人に優しくデザインされておらず、どこかでそれはダメだと気づくのです。しかし、幼少期からそんな考えで過ごしていたので今更円滑なコミュニケーションが取れないのです。

そうなれば脱落していく、もしくはそれを覆すことのできる技術や力を持った人ならば道を切り開いていけるでしょう。

直接のコミュニケーションをとらないで良い時代はもう来ているのでしょうか?人が人と触れ合うことは少なくなっていくのでしょうか?いずれにせよネットを介したコミュニケーションでも人見知りを発揮してしまう僕は淘汰されるでしょう。